ええー、ここに美濃部孝蔵というかわった男がおりましてな、
かわりにかわっておるのでございます。

なんでも明治二十三年の生まれだそうでございましてね、
小さい頃からさんざん悪(ワル)をしたあげく、
仕事を転々とかわりましてね、いよいよ定職につかなきゃってんで弟子入りしましてな、
三遊亭盛朝と名乗ったのでございます。

数えの二十一で高座にあがり、めでたく三遊亭朝太と名をかえたのでございます。
それから圓菊とかわり、そのまた数年後に金原亭馬太郎にかわったのでございます。
それから間もなく武生にとっかえ、馬きんにひっかえ、
古今亭志ん馬とかわったのは大正十年のこと。

ちなみに小金井芦風というかわった別名もございましてな、
その後も順調にかわりつづけるのでございます。

古今亭馬きん、馬生とかわり、昭和に入る頃には柳家東三楼に。
それで、下だけちょいとかえましてね、甚語楼です。

こうなったら、どんどんかえちめぇ!ってんで
隅田川馬石に切りかわり、柳家甚語楼にかわり戻って、、
古今亭志ん馬にすりかわり、金原亭馬生にかわりはて、、、

ついに昭和十四年に五代目古今亭志ん生にかわり着いたのでございます。

それから三十余年というもの、志ん生を名乗り、
その名はひろく愛されることになったのでございます。

そして昭和四十八年美濃部孝蔵としてあの世へうつりかわったのでございます。

なんで、そんなにかわったのかってぇーと、、、、
「替り目」が十八番(おはこ)だったからでございます。 m(__)m

美濃部孝蔵→三遊亭盛朝→三遊亭朝太→三遊亭圓菊→金原亭馬太郎→

金原亭武生→金原亭馬きん→古今亭志ん馬→小金井芦風→古今亭馬きん→

古今亭馬生→柳家東三楼→柳家甚語楼→隅田川馬石→柳家甚語楼→

古今亭志ん→金原亭馬生→古今亭志ん生→美濃部孝蔵

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